前回書いた記事では、自分の名前を出して研究成果を出していくのが研究者だという視点から、自分の研究成果を「発信」していくことについても、きちんと自分の名前で引き受けるような場所を作ることが大切じゃないかと考えて、個人サイトを開設しようと思ったということを書きました。

この記事で書いたことは、「研究者」として個人サイトを持つということについて考えてみたといったような内容でした。

今回の記事も「研究者」としてこういった場所を持つことの意味についての内容ですが、少し角度を変えて考えてみたことを書こうと思います。


これは完全に個人的な「偏見」ですが、職業としての「研究者」は、職業としての「芸人」さんに似ていると思っています。

業界特有の組織(研究者は大学などの研究教育機関、芸人さんは芸能事務所)に所属しながら基本的に個人の名前で仕事をしているというところや、基本的な下積み期間が長いこともそうですが、上の世代が詰まっていて30代から40代前半に至るまでが「若手」と呼ばれるような昨今の状況に至るまで、職業としての特徴が似ているように感じます。

最近、芸人さんの世界での流行を示すワードとして「第7世代」という言葉が出てきていることに象徴されるように、業界の世代論には特に興味を惹かれます。

もちろん、単純な世代論でいろいろなことを語るには慎重になる必要があります。

ただ、たとえば、実感として「なるほどなぁ、研究者の世界もそうかもなぁ」と感じたことのひとつとして、中田敦彦さんへのインタビュー記事で以下のような内容に触れられていたことは、非常に印象的でした。

西野さんも僕も、テレビのゴールデンタイムで冠番組を持った経験があることが大きいのかもしれない。テレビの一等地からの風景をすでに見ているので、上に行くこと(ゴールデンタイムで冠番組を持つこと)がゴールではないという実感がある。だけど、閉塞感があって何かやらなきゃいけないという気持ちは、40代手前の芸人であればみんな持っているはずだ。

西野さんや僕はビジネスの方向に進んだが、ピースの又吉直樹さんが作家になったり、綾部祐二さんがニューヨークに行ったり、ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんが時事ネタをやったりしているのも、おそらく同じ理由。渡辺直美さんもテレビのゴールデンタイムに冠番組を持つのがゴールとは思っていない。みんな、どんどん外にこぎ出している。

多分、有吉弘行さんやおぎやはぎさん、バナナマンさんといった、ボキャブラ世代の後期くらいまでが、テレビの時代にぎりぎり間に合った世代。それ以降の若手芸人で危機感を持っていない人、SNSやYouTubeを使うことを考えていない人は多分いないと思う。

許斐健太「中田敦彦はなぜテレビの仕事を減らしたのか:芸能事務所に頼らないタレントが増えていく」

特定の芸人さんの名前がずらっと出てきていて、イメージできる方にはイメージできる、イメージできない方にはちんぷんかんぷんという感じかもしれませんが、ざっくりと「40代手前」というところをラインとして、どこをフィールドに戦っていくかということへの意識が変わっているというところが目に留まりました。

「40代手前」というのは、研究者の世界でも「若手」と呼ばれている世代です。

もちろん、同じ世代のなかにはいろいろな環境の人たちがいるわけですが、ここで中田さんが言及している芸人さんたちを思い浮かべると、大学などの教育研究機関に専任教員として所属しつつ、研究成果を積み重ね、学会などである程度名前が知れている「40代手前」の研究者がイメージされます。

これまで、ある程度定型化されている「研究者」の「出世ルート」には、学会で名を馳せて学会の運営に参画するか、科研費をとって共同研究を主催するか、あるいは、雑誌や新聞・テレビといったメディアに露出して「知識人」として有名になるといったようなパターンがあるかと思います。

そうした定型化された「出世ルート」ではないような研究者の生き方を、「40代手前」の世代は模索しなければならないのではないか。


ちょうど最近、Facebookのタイムラインから「在野研究者」に関する記事が流れてきて、目に留まりました。

この記事は大学などの教育研究機関などに所属せず、「在野研究者」を名乗って研究を続ける荒木優太さんへのインタビューが中心になっています。

また、この記事で言及されている『在野研究ビギナーズ』(リンクは明石書店の特設紹介ページ)という、荒木さんを含め、15名の執筆者からなる本も読みましたが、執筆者の多くが、いわゆる「40代手前」までの世代の人々です。

世代で括ることにあまり大きな意味はないのかもしれませんが、こうした形で「在野研究者」の存在が注目され、実際にそうした方向に舵を切る方がいるというのは、今の時代だからこそなのかもしれないなと思います。

「在野研究者」に注目が集まる理由にはいろいろな要因があると思いますが、荒木優太さんのインタビューには、以下のような要因が挙げられています。

ーー大学をめぐる若手の就職状況についても問題になっています。そのことと在野研究の関係についてどう捉えていますか。

簡単に答えることは難しいです。ただ、いま「在野研究」が注目されている背景には、たとえ博士号をとったとしても若手が大学に就職するのはたいへんに難しいという状況があることは明らかです。『ビギナーズ』で西周顕彰事業の立ち上げ経緯を書いてもらった石井雅巳さんには、明確にその問題意識があります。

これは私見ですが、若手にとって在野研究とは、おそらく第一には、就職にあぶれた院生たちがなおも自身の研究を続行しようとするときに採用される仮名の一つとして捉えられるのではないでしょうか。

その仮期間のあいだになにをするのか。企業で働きながら査読論文を投稿する人もいるでしょうし、論文執筆とは別のスタイルを選ぶ人もいるでしょう、いったんは目の前の仕事に集中して都合のいいところで社会人入学し院生になることを選ぶ人もいるかもしれません。

なににせよ重要なのは、あるルートで1回つまずいたからといって、または迂回したからといって、それが自身の学問人生においてクリティカルなものになるとは限らない、ということです。人生にはそれなりの時間の幅がありますから。

山本ぽてと(取材・文)「「僕は楽しいからそうする」。大学の外で研究する「在野研究者」たち」

一時期、「高学歴ワーキングプア」という言葉とともに注目された大学院生・若手研究者の就職・進路をめぐる問題が、「在野研究者」が注目される背景として言及されています。

こうした状況は、研究の世界における「40代手前」の研究者が置かれた状況のひとつのありようを示しているように感じます。

そして、このことが、同世代の研究者は定型化された「出世ルート」とは異なる場所を探す、あるいは探さざるを得ないのではないか?という問い、というか焦りにも似た感情を僕のなかにもたらしています。


ただ、僕には今のところ、大学という組織を離れて研究を続ける、「在野研究者」になるという選択肢はありません。

それは今のところ、研究を続けるうえで大学に所属していることのメリットが大きいということがあります。

これはもちろん、そうした状況がこれからも続くということが保証されているわけではありませんが、さしあたって今は、大学に所属することが研究をおこなううえで必要だと思っています。

そのあたりの気持ちは、おこがましいことですが、芸能事務所に所属しながらも様々な方法を模索する芸人さんたちと似ているのかもしれないなと感じます。

そう思いながらも、それでは先に触れたような、これまでの研究者の定型化された「出世ルート」を受け容れれば良いのか?という問いは、常に頭をもたげてきます。

ある意味では、あるいはある立場の方から見れば、そうした問いは「贅沢な問い」なのかもしれません。

ですが、僕自身、こうした問いを焦燥感とともに感じていることは事実です。

そのような問いを乗り越えるための方法とは、どのようなものであるのか?というのはまだよくわかりません。

というより、こうした問いには明確な答えがあるわけではなく、模索するという行為そのものが、問いを乗り越えていくために必要なことなのかもしれないなと思っています。

そうした模索のひとつの表れが、個人ブログを開設することなのかなと考えています。


研究者による個人ブログ、ポートフォリオサイトの開設というのは、分野にもよるのかもしれませんが、少なくとも自分の周囲を見回したところ、あまり実践している方はいないようです。

まあ、研究者にとってはあまりメリットがない行為なのかもしれませんが、個人サイトを開設することから広がる世界というのもあるのではないかという気がしています。

次の記事では、そうした見通しの一端について書けたらなと思います。